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2014年11月19日水曜日

産業廃棄物と闘うひとりの主婦 ④






「の~んびり、田舎暮しでもしようかな~。」

東京郊外の住宅街、非人道的な満員電車の中で、こんな妄想にふけて、現実逃避をしているのは、きっと僕だけではないだろう。

しかし、それがいかに「非現実的な妄想」であるか…。

黒木さんの書いたブログには、地方の現実がよく表れている。



彼女の書いた文章は、「少女マンガ」みたいな感じがする。

「いつ」「どこで」「何をしてる場面」…、そんな構成要素、いわば「マンガの背景画」みたいな部分の記述が少ないので、これを記録として読もうとすると、少々解かりにくい部分がある。

その反面、「誰が」「何を言った」という記述はしっかりしている。まるで「マンガの登場人物」が大きいコマでセリフを語るように、言葉のやりとりがしっかりと記述されている。

この感じは、特に黒木さんだけでなく、多くの女性の文章や会話の中に表れる「共通の特徴」ではないかと僕は思っている。一般に「表象の事実認識」にフォーカスする僕たち男性には、若干の翻訳作業が必要なのだ。

「彼女は、何を思ってこれを書いているだろう。」

これを、インプットしておかないと、彼女の文章の本質は見えてこない。






彼女は一生懸命に書いている…、僕はそう思う。

うわべだけでザッと読むと、毎回同じように感じる話の数々、決して一般的に読みやすいとは言えない文章、きっと彼女自身も、「伝えきれていないことの多さ」に、歯がゆい思いをしているのではないだろうか。

PCやスマートフォン、ブログやツイッター、そんなツールを流暢に使いこなして、日常をエンジョイしているタイプの人には、どうも思えない。作業には随分と時間や手間がかかったのではないだろうか。

「彼女は、何を思ってこの文章を書いているのだろう…?」

僕は想像してみた。

… この人は、悲しいのかな・・・。



人には慣れ親しんだ土地がある。

日本全国にある、名前も知らない山や川。通りすがりの人間には一過性の風景かもしれない。しかし、そこに暮し、生活を営んできた人間にとって、それは「かけがえのない郷土」、大切な自分の一部なのだ。

そこへの愛着の深さは、僕のような人間には推して知る由もない。

「フェロニッケルスラグが、目の前の山に埋められている」

彼女はそれがイヤなのだ、耐えられないのだ、僕はそう思う。

きっと悲しいだろうな…、と。

これはその土地に暮らす人間の「尊厳の問題」なのだと思う。



彼女の文章によって少しだけ現状を知った僕が

「これをどう判断するのか」

これは僕自身に問われた「倫理の問題」に他ならない。

証拠や調査、そしてロジック、そんなものは後からでいい。





<⑤につづく>

   ★ 黒木さんのブログは証言の塊、今後少しづつ取り上げていきます。